備忘録

過ぎ去った思い出

下山命令


1998年
中京山岳会インド・ラダック地方
サポート隊、記録係りとして参加。

記録係りとして一番の用具はカメラです。
乾燥地帯のヒマラヤにカメラを持つにあたり、
フィルム・カメラをと思ったが、重い一眼レフカメラ
持ち、粉塵がカメラの内部に入るのは…。
そこで、富士のファインピクス150万画素に
広角レンズがついたタイプをチョイス。
あの頃、16M のスマート・メデイアが出たばかりで、
1枚あたりの値段は、3000円以上。
何枚のメデイアを持って行ったか覚えがない。
それに電源の供給確保で悩んだ。
真面目にソーラ・パネルで折りたたみが出来る
タイプを捜したが、無かったので諦めた。
広角レンズならトリミングや濃淡もPCで帰ってから
補えるのです。
インダス川の支流を渡ると、そこは未知の世界。
良いアングルが、いたる所に遇った。
5600Mのベースキャンプに到着し、2日目の
朝食、休憩と着替えの為にテントに戻る。
何故か体が動かない。不調を訴えた。
この日は待望のツオモリリ湖に探査の予定で、
是非行きたかった。
サポート隊の記録係りとしてカメラにおさめたかった。
アルパナ(インド全土・山岳通訳)が心配で親身に
看病してくれた。
ダイアモックス』と云う薬を飲む。
薬が効いて小便が沢山出る。トイレ・スペースまで
行く力も無く小便の為に誰かの肩につかまって。
大きな酸素ボンベが運ばれ吸えと…私は断った。
高所訓練で7000M あたりで酸素を吸ったら、
過呼吸になったから。
夕方、テントの外で登山隊長とサポート隊長が下山させる
為の相談の声が聞こえる。
パニックになっていた。よく考えていたら1日4錠の
ソラナックス』を『レー街』出発から飲んでいなかった。
※『自分の体調管理を怠るのは自分の責任』
翌朝、『下山』となる。

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『レー』に戻ってカングリー・ホテルでマッサージを
頼むが、私より壺を押すのが下手で逆に指圧の仕方を
教えてやった。ボール紙に「指圧」SIASTU と書いて
これを見せれば、お客さんが増える…と。

youtu.be

※下山命令で徳をした事。

◎デジカメのバッテリーの充電が出来た事◎

2011年、3500M以上の物を主体にした32種類の
ポスト・カードを印刷。

インド ヒマラヤ ラダック India Himalayan Ladakh Photo Album
https://youtu.be/zHGpn5GcgaM