備忘録

過ぎ去った思い出

IMFS 国際共同慰霊式典

急遽、私も中京山岳会のメンバーになって
「日本アルパイン・スキー兵協会」、
1989年9月、コロラド州 Vailスノー・リゾートにて
春日部氏初め5名で IMFS総会に出席した。
私は愛知県名古屋ターミナルホテルの日章旗返還等で
S.スミス氏とは何度も会っていた。

ロッキー山脈のテネシー峠を封鎖し、先の世界大戦で国家の
為に命を亡くした英霊が刻まれた国際共同慰霊碑の前で
式典があった。
何か空から音が聞こえる…瞬間、表敬飛行のジェット戦闘機が
2機 飛行機のリベットが見える程の低さで飛び去った。

Vail村は、昔銀山で栄え、その後Vailリゾートとして
整備され、規模は志賀高原の数倍の大きさのスキー場
で、バッテリー駆動のバスが定期的に巡回された環境に
配慮された村です。私達はホテル・マリオットに宿泊し
晴れた空は紺碧色。緯度のせいか3000M以上でも木々が
そそり立っている。
寿司バー『NOZAWA』で日本人で最近来た人は?聞いた所、
黒柳徹子だそうだ。

『日本人が5人来た』とベイル新聞が報道。
私やUSの元山岳兵の合同写真が紙面に載った。

大会が終わり春日部氏はS.スミス氏のGM車で
ソルト・レーク・シティーに 行く事になり、
私が残り3人を引張り、デンバーからシカゴまで
連れていく。年寄りは荷物を無造作に置くので
何度も指導したが無理。手荷物はそこが、空港の
カウンターでも盗難に遭う事。
シカゴのホテルに1泊し、あくる日は成田経由
マニラ行きである。
その飛行機が離陸し、次は成田と安心し、
CAに白ワインを頼む。気疲れで体が硬直。
日本語が話せるCAに症状を伝える。
私をのせたジャンボ機は、アメリカ大陸上空で
進路をシアトルにとる…と。緊急着陸だそうだが、
たまたま乗り合わせた女医さん2名が、点滴の
代わりに『オレンジ・ジュース』を3L飲む様にと。
緊急着陸時に使う酸素ボンベを抱いて成田行きとなった。


謹賀新年の文字がある面は印刷の都合でカラー写真の
部分が擦れている。

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車の写真上 : ハイラックス4WD車

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        1989/11/26 撮影 
      : シボレー・シェビー・ロング4WD車

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キスカ島守備隊の老兵に捧げる Kiska

hps://youtu.be/w6KrHT9VmdQ