親父の若い頃の
2009年07月04日
親父の若い頃の写真が出てきた
裏書きには 23歳頃と書いてある。
銀塩写真なので
セピア色のプリント・ペーパーかな?
部分的に少し黒く変色していたので修正した。
多分 小学校3年生頃 御在所の中腹の川辺にテントを張り夕飯の準備を親父が…。
雨が激しくなりテントの中のグランド・シートの上まで水が入った事を告げる。
親父、直ぐ私を高台へ放り投げ、リュックと夕飯道具もテントの中に入れ、
テントごとまとめてまた高台へ放り投げる。
親父が高台によじ登る。ほんの3分程の出来事。
私の足先近くまで、黒い濁流が…俗に云う『鉄砲水』です。
あの決断と実行の早さが無いなら、親父も私もあの時で途絶えていたと思う。
あんな事もあった。
私は名古屋生まれ名古屋育ち。
親父の背中のリュックの中に私を入れてスキーをしていたらしい。
私は、幼稚園の頃からスキーをしていた。
私にとってスキーは、嫌いでした。
何故なら泣きながら親父とお袋を追っかけ滑っていた。
あの時も…。
美ヶ原の美しの鐘前で休憩。富士山が大きく目の前に見て感動した。
白樺湖まで滑り降りる時も泣いている私をおいて、どんどん行ってしまう両親。
蒸気機関車のスチーム暖房で汗し、窓を開ければ煙が目に。
だから『スキーは、嫌い』だった。
動画と歌で表せば これかな? 2009/07/14
↓この歌は1998年8月シルクロードの拠点レー
標高 3500Mの街『レー』のホテルで、登山隊の登頂を祈って私が唄いました。
アルプスの牧場
https://www.youtube.com/watch?v=hFRCTScqcuc